【依存 恋愛】共依存
共依存という字面だけを見て、筆者は最初「お互いに依存しあう」というイメージを持ちましたが、調べてみるとそれは間違いでした。共依存とは、自分の価値基準がなく、周りがどうしているのか、どうしたいのか、周りの期待に応えたい、周りの問題を解決したい。一見すると、周りの「人」のことをいつも気にしてくれる「とても良い人」なんですが、この状態が続くとことで、なぜ「依存している」状態となるのか。それは、その「人」のために、自分を犠牲にしてまで頑張り続ける、頑張れば頑張るほどに状況が改善しないどころか、どんどん悪化してしまう。結果、今度は自分自身が苦しくなってしまい、自分自身を追いつめていくことになる。
【依存 恋愛】原因
共依存という言葉はアメリカで誕生しました。季刊誌ビィを発行している特定非営利活動法人ASKが運営するサイト「アスク・ヒューマン・ケア」に共依存とう言葉が生まれた理由をこう記しています。
1970年代、アルコール依存症者の妻たちが苦しむ様子を目にした援助者が、自然発生的に使い始めました。Dependencyは依存症、Coは共同・同等といった意味です。妻たちは、夫の飲酒問題を何とか解決しようとして、説教したり、監視したり、失敗の尻ぬぐいをしていました。崩れかけた家庭を、夫に代わって支えようと必死でした。ところが、妻が必死になればなるほど、問題の当事者である夫は、自分の健康や社会生活や家族のことに責任を持たなくなり、ますます飲むという悪循環が生じていたのです。そのため妻は、ますます夫のことで頭を悩ませ、疲れ果て、なぜこんなことになってしまったのかわからずに、怒り・悲しみ・絶望・混乱の中で途方にくれていたのでした。
引用元:https://www.a-h-c.jp/article/4950
共依存となる原因は好きな人やパートナーを助けたいという強く思う気持ちとは裏腹に状況が改善せず、どうすれば良いのかわからない負のスパイラルに陥ってしまう原因にようです。
【依存 恋愛】カップル
共依存は夫婦や家族などのとても近い関係だけではなく、若いカップルにも多く見られると考えられます。特に自分のことを「好きな人が出来たら相手に尽くすタイプ」は要注意です。お付き合いする相手が何かしらの問題(ギャンブルやアルコール依存など)を抱えているもしくはそのような状態になってしまった場合、「自分が助けてあげなければ」という気持ちになるのは自然のこと。ですが、カップルだからといっても、尽くし過ぎるということはダメです。尽くしすぎるとは「自分自身を犠牲にする」こと。ですから、何かしらの問題を抱えている相手と付き合っているが、まだ婚姻に関係にない恋人同士であれば、自分自身を犠牲してまで助けてあげたい、守ってあげたい相手なのか見極めたいですね。
【依存 恋愛】関係
共依存の関係になるのは「家族」という切ってもきれない関係性と愛情が大きく結びついるように思います。なので、自分も知らずのうちに「共依存」という状態に陥ってしまっていることに気づかずに頑張り続けてしまうのでしょう。自分がなんとしないといけない、自分で動かないと罪悪感を感じてしまう、相手の問題なのについつい首を突っ込んでしまう、思い当たるところがあれば注意が必要です。自分で相手に振り回される道ではなく「じぶんらしさ」を考えてみましょう。なんでもやり過ぎてしまうことが、相手をよりダメにしていることだってあるかもしれません。自分を追い込むような考え方は捨ててしまいましょう。
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【依存 恋愛】共依存するカップルとは、原因と関係について:まとめ
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